
世界かんがい施設遺産は、かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成を図るとともに、かんがい施設の適切な保全に資するため事を目的とした、歴史的なかんがい施設を国際かんがい排水委員会(ICID)が認定・登録する制度です。
天狗岩用水は、関ヶ原の軍功により、慶長6年(1601年)上野国総社六千石を与えられた秋元 長朝が、領内の新田開発を目的に利根川の水を引く用水路を開削する計画をした事が始まりの用水です。そこから3年間の免租を条件に慶長7年から同9年にわたり、農民総出動により開削しました。その工事の有様は、取水口付近の巨石を天狗が飛来して取り除いたという伝説にもあるように、非常な難工事であったと伝えられ、「天狗岩用水」の名前の由来にもなっています。
江戸時代には「植野天狗岩堰」と言いましたが、明治15年に「天狗岩水利土木会」ができてからは、「天狗岩堰」という呼び方になりました。現在は、利根川坂東大堰取水合口から八幡川との合流地点までを「天狗岩用水」と呼び、それより下流の烏川への落水口までを「滝川」と呼んでいます。明治25年には「天狗岩堰普通水利組合」が設立され、昭和24年の土地改良法の制定に伴い、昭和27年に天狗岩堰土地改良区に組織変更されました。
総社秋元公歴史まつりは、江戸時代初期に総社領発展の礎を築いた初代藩主、秋元長朝公の功績を称えたお祭りで平成2年から開催されています。出陣式の後に武者行列が行われます。総社・元総社地区に数多く残る史跡や文化財を巡り、その歴史に親しむことができるイベントです。

江戸時代には「植野天狗岩堰」の名称でしたが、明治15年に「天狗岩水利土木会」が
できてからは、「天狗岩堰」という呼び方になりました。
現在は、利根川坂東大堰取水合口から八幡川との合流地点までを「天狗岩用水」と呼び、
それより下流の烏川への落水口までを「滝川」と呼んでいます。
明治25年には「天狗岩堰普通水利組合」が設立され昭和24年の土地改良法の制定に
伴い、昭和27年に「天狗岩堰土地改良区」に組織変更されました。
その間、カスリン台風やアイオン台風、キティ台風など数多くの台風による被害を受けながらも整備・改修を施し現在に至ります。


天狗岩用水の名前の由来でもありますが、開削工事中の巨石の除去の難工事の際に忽然と現れて除去の方法を示唆してくれた、白髪の老人を天狗の化身であるように言ったのが「天狗来助(てんぐらいすけ)」伝説です。人々は天狗様に感謝して岩の上に祠を建て祭ることにしました。これが「羽階権現」です。総社町にある元景寺の境内にまつられています。

天狗岩用水の開削により、6千石だった米の収穫量は2万7千石に増えました。農民たちは秋元長朝公への感謝の気持ちを込め「力田遺愛碑」を建立しました。力田(りょくでん)とは、「精農に尽くした」という意味で、農民を愛した秋元長朝公に農民が感謝し、この碑の建立のため農家1軒あたり一握りの米を出し合って建立したとても貴重な碑だと言われており、碑文の最後には「百姓等建」と記されています。

前橋市問屋町の稲荷山古墳上に鎮座する丁間稲荷は、天狗岩用水開削のための測量の基点であったといわれています。
境内西側に立つ群馬県内最古の様式をもつ笠塔婆は前橋市指定重要文化財で、平安末期の民衆の仏教に対する信仰の姿を知ることができます。

慈眼寺には、1604年に完成した天狗岩用水の延長を関東郡代伊奈忠次に進言し、滝川村から玉村にかけて新田開発に力を尽くした「江原源左衛門」のお墓があります。
境内にある「しだれ桜」の名所としても有名で、春にはたくさんの人で賑わいます。

前橋市総社町にある光巌寺には秋元長朝公の霊を祭った霊廟があります。霊廟内の天井画「八方睨みの龍」は、泰朝が造営奉行をつとめた日光東照宮の「鳴龍」の原形ともいわれています。

玉村町角渕の東部工業団地の西1kmほどの水田内にある古墳です。直径40m、高さ6mの円墳で、4世紀末に築造された古墳です。軍配山の名の由来は、戦国時代に滝川一益がここに陣を敷いて采配を振るったことから名づけられたとか…。